「Mac vs Windows 乱世の決戦」を読んで
- 公開日: 2001/01/19
はじめに
Mac Fan 2001.1.15号に「Mac vs Windows 乱世の決戦」なる記事が掲載されている。僕自身WindowsとMacを両方使っている(いや、正確にいえばどちらもたいして使ってはいない^^;)し、何よりもMacユーザーがWindowsをどう評価しているのか興味があったので、おおよそ一年ぶりにMac専門誌を購入した。
僕自身はやりたいことが出来れば機種やOSはなんでもいいというお気楽思想である。でもって、ゲームがしたいからデスクトップPCにはWindowsを導入し、「安いから」という理由で「寝ころがってインターネット」用のノートPCにはLinux→FreeBSDを入れている。
また、僕は「日本語入力をTOWNSで覚えた」口なので無変換キーでかな変換をする癖が指先にしみついてしまった。だから、文章入力作業をPC/ATかTOWNS以外ではやろうという気にはなれない。以上が僕の「Macはメインでは使わない」理由である。(だからもしMacが106/109キーボードに対応して、キーカスタマイズでOAK風に出来るIMがでて、安いMacが登場するならばあっさり乗り換えるかもしれない^^;)
さて、この特集「Mac専門誌なりにフェアな姿勢を示すべきだ」(p.40)とのことだが、少なくとも僕にはやっぱり偏向しているように見えた。そんなわけで、この特集をできる限り公平なスタンスで再検討してみようと思う。
オーバービュー
本特集は「比較記事」「アンケート」「他紙(Asahiパソコン)の同種企画の評価」「Apple報道に関するコラム」の4章仕立てとなっている。「比較記事」は石川至知・高橋敏也の両氏が、「コラム」は大谷和利氏が、それ以外は滝口直樹編集長が執筆しているようだ。
「Appleにとって不利になることは極力言わない」スタンスをとり続ける大谷和利氏を起用した時点ですでにアンフェアと言わざるを得ない。何といってもこの人、Appleがどん底だった97年のMacworld Japan誌の最終号(翌月から新雑誌「Graphics World」の一部門に降格)で「QuickTime開発スタッフの精神が如何に高潔であるか」などという脱力提灯コラムを書いていた人である。
また「比較記事」は4つの対決から構成されており、各「対決」には「Macユーザーなら」「Winユーザーなら」「両ユーザーなら」というそれぞれ2センテンス程度のまとめが記載されている。この「まとめ」の意図がタイトルとあっていない気がする。それぞれ「Macの長所」「Winの長所」「結論」と読み替えた方がよさそうだ。
4つの視点で比較したMac vs Windows
その1 拡張性・関連製品対決
p.30に記載されている「ユーザーにとって必要な拡張性とは、機能・性能の拡張によってユーザーが望む拡張を達成できるかどうかであり、」と言うのはまさにその通りであり、正鵠を得た意見といえるだろう。ただ、「拡張性」というファクターには「故障時のリカバリー性」という要素も含まれる。マザーボードに実装されているEthernet、Firewire、USB等が故障した場合拡張性の無いマシンなら即修理でその間使えないが、拡張性のあるマシンならば故障したパーツと同等の拡張カードを入手できれば比較的短期間で復旧できる。この差は大きい。
また、p.30の図2のキャプションに記述されている「Windows用の周辺機器の場合、箱に記述されている対応事項は多岐に渡っているので慣れるまで大変」という意見にはやや異論あり。いや、もちろん前記の意見はその通りなのだが、それはMacとて同じだろう。少なくとも図2に記載されている周辺機器についてはそうだ。
図2に記載された周辺機器は、上が「PS/2マウスポート用の入力機器」、右が「AGPスロット用のビデオカード」、そして左下が「USBポート用の周辺機器」のようだ。p.30の2段目に記載されているように、Mac用の周辺機器の箱に記載されている内容が、
(CPUの種類、空きハードディスク容量、搭載メモリ、OSのバージョンが一般的)
であるならば、図2に類似のMac用周辺機器はやはりWindowsと同様の問題を抱えるからだ。「ADB用の入力機器」は当然最近のMacでは使えないし、反対にUSBは古い機種では使えない。AGPビデオカードに限っていえばMacでは「PowerMacG4のみ」と書けば済むので問題はなさそうだが。いずれにせよMacとてこの種の問題とは無縁ではないだろう。[2001/1/19追記]よく考えたら、初代G4PowerMacのローエンドモデルはAGP積んでませんね。てことはここであげたような周辺機器はMacだろーがPCだろうが「悩ましい」ってことになる。
その2 操作性・インターフェイス対決
この対決は前対決と同様に石川氏が執筆しているが、この対決についてはやや不満が残る。
一つは「シェア」の持つ効果を否定している点である。
キーボードは、単純に対応している種類はWindowsの方が多い。日本語入力に関しても多くの日本語入力システムがあるのはやはりWindowsである。しかし、どんなに種類があっても、何種類ものキーボードを使い分けたり日本語入力システムをいくつも切り替えて使うことはあまりない。要するに、自分が気に入ったキーボードと日本語入力システムがあればそれでいいのだ。
と、p.32の三段目には記載されている。確かに「自分が気に入ったキーボードと日本語入力システムがあればそれでいい」ことには違いは無いのだが、その「自分が気に入ったキーボードと日本語入力システム」に出会う確率は提供されるキーボードとIMの種類の多いOSの方が高いのではないか。キーボードやマウス、IMなどはいわば筆記用具のようなもの。選択肢が多いに越したことは無い。
また、GUIについて言及したp.33 1-2段目の、
また、カスタマイズは一見ユーザーフレンドリーに感じるが、研究された最良の操作性が確立されていれば、最低限のカスタマイズ以上は必要ないだろう。
だが、ユーザーインターフェースに「正解」があるのだろうか。例えばワープロ専用機のキーボードのように、特殊機能キーを大量に並べる、というのもユーザーインターフェースの一つの「解答」だろう。文章を大量に入力する人にとってはありとあらゆる作業をキーボード上で、しかも少ないアクションで実行できることこそが最優先の課題だからだ。同様に、ポインティングデバイスをどうしても使えない人も世の中にはいる。Macintoshのユーザーインターフェースは確かに細部まで考え込まれた、優れたものであることは事実だが、それはユーザーが一定の条件を満たした場合にのみ有効なものである。カスタマイズ性が高くなっていくのはOSの進化の過程としては当然のことであり、唾棄すべきものでないはずだ。
さらに、p.33 二段目になぜかATマザーについて言及されているが、なぜいまさらATマザーの話題など持ち出すのだろうか。ATマザーは1997年の時点でも入手が困難になりつつあった、いわば過去の技術である。ここで言及する必然性が感じられない。
また、AT互換機の起動ディスクの切り替えについてはやや事実と異なる部分がある。確かにWindows95系はATA-HDDのプライマリマスターの最初のパーティションか特定のSCSI-HDDのみからしか起動できない(はず、AT互換機でSCSI-HDDを使ったことが無いのでよく分からない)が、WindowsNTならどのパーティションからでも起動可能だ。また、ブートの切り替えも通常はBIOSからやらなくてもよい。最近の機種ではハードディスクの起動の優先順位はデフォルトでCD-ROMより下になっているはずで、CDを入れて起動すればCD-ROMからブートできるようになっているはずだ。
ただし、MacやNTの「複数のHDDパーティションから選択的に起動できる」という点はWindows95系よりも便利である(似たようなことをWindows9xで出来ないことも無いが、かなり面倒くさい)ことには変わりはなく、この点については異論は無い。(が、この点はユーザーインターフェース対決で語られることではないような気も)
その3 アプリケーション対決
シェアについては前項でも書いたので繰り返さない。また、p.34 三段目に「Macはよりショートカットが統一、充実されているため…」と書かれているが、統一はともかく充実度ではWindowsの方が上だろう。基本的にゲーム以外のWindows用アプリケーションの場合、ほとんど全ての操作がキーボードで行うことが出来る。
また、プリエンプティブマルチタスクを軽視するのは如何なものだろうか。たしかにプリエンプティブマルチタスクでも落ちたアプリのデータは帰ってこない。しかし、複数のアプリを同時に立ち上げている場合一つのアプリが落ちても被害を最小限に止められる。もちろんアプリが落ちないようにすることは理想だが、それが駄目なら皆いっしょ、というわけでも無いだろう。
しかしこの対決、半分以上が「アプリケーション」とは無縁の内容だ。構成にやや無理があるのではないだろうか。
その4 価格を基準としたスピード・パワー対決
多くのMac系ライターが指摘するように、単純なクロック比較は無意味である。そして、同様に「1クロック当たりの速度」をスピードの指標とするのもやはり無意味である。かつてG3-450MHzの(Blue&White)PowerMacが登場したとき、ほぼ同じ価格でPenII-400Mhzのdualが買えたのだから。iMac登場後のMac誌としてはおそらく初めて、価格を横軸とするベンチマークを行うことを決断したMac Fan誌とライターの高橋氏にまずは拍手を贈りたい。
しかし、ベンチマークそのものはやや不満だ。理由のひとつは高橋氏自身が述べているようにわざわざコストパフォーマンスの悪いVAIOシリーズを対抗馬にしていること、そしてもう一つはベンチマークの項目がやや少なく、またやや現実離れしているように見えることである。
まずハイエンドマシンがなぜ必要なのか? それは重たい処理をする必要があるからだろう。では「重たい処理」とは? たとえばこんな所だろうか。
フォトレタッチ
レンダリング
動画のエンコーディング
CD-R書き込み
となると、Macの対抗馬としてふさわしいマシンはこれらの処理が一通りできる機能を備え、かつコストパフォーマンスを追求したマシン、ということになる。これらの条件を満たすマシンはVAIOよりもむしろBTOメーカーのマシンではないだろうか。個人的にはフロンティア神代 <https://web.archive.org/web/20060201225650/http://www.frontier-k.co.jp/>あたりなんかどうかと思うが。(2020/1/2追記: フロンティア神代(こうじろ)はBTOパソコンメーカー。2013年にヤマダ電機に吸収合併され解散し、ヤマダ電機の子会社であるインバースネットによって"FRONTIER"ブランドのBTOパソコンが展開されている)
同様に、実作業とかけ離れた「ベンチマークのためのベンチマーク」などやっても仕方あるまい。エンドユーザにとって重要なのはカタログスペックではなく実際の作業における速度なのだから。例えば、イメージの回転ななんかは45度よりも5度未満の微調整に使われることの方が多いのでは? 新型Macも出たことだし、ぜひともベンチマークは使用ハードウェア、ベンチマークをブラッシュアップして再度やって頂きたいものだ。
他誌に見る「Mac vs Windows」の評価
p.40にはAsahiパソコン誌における同種企画の結果が掲載されている。ざっと見ると確かにアンフェアかも、と思われる部分もなくはない。特にベンチマークの基準を明確にしていないのは「行司差し違え」ものだろう(Asahiパソコン誌は対決を相撲になぞらえている)。僕なら「三日目」のマウス操作対決はWindows勝利→引き分けに、「四日目」のショートカットの使い勝手はMac勝利→Windows勝利に、「十三日目」のメモリの利用法もMac勝利→Windows勝利に、そして「千秋楽」の性能対決はWindows勝利→無効にする。計、7勝3敗4分1無効だ。
さて、僕の評価はどうでもいいとして、何度も言うようにシェアをことさら過小評価するのは如何なものだろうか。この章でも41ページに2箇所そのような記載がある。また、「ビジネス用途を強く意識したパソコンが、特定の用途やユーザーを意識したパーソナルコンピュータに比べてたくさん売れるのは当たり前の話だ。」と事実と異なることが書かれている。実際には初期のMacはカラーもシンセサイザもなく、ビジネス用途を強く出したマシンだし、今のマックにしても別段PCに比べて特定用途を意図しておらず、むしろカテゴリが少ない分PCと比べて一機種一機種が汎用的なマシンとなっている。むしろパーツを自由に選べるPCの方が特定要素に特化した機種が多い。ゲーム専用のAlienwareなどその代表だろう。(2020/1/2追記: Alienwareは当時の代表的なハイエンドゲーミングPCメーカーで宇宙人になぞらえた名前を機種名にすることを特徴としていた。後にDellに買収される)
くどい様だがシェアは絶対的な指標でない。しかし過小評価すべきでも無い。シェアが高ければ高いほど、一つのジャンルあたりのアプリケーションの種類は豊富になる。それは特に単価の安いゲームやユーティリティ、あるいはオンラインソフトなどで特に顕著である。そしてそれらのソフトは一見似た様なものであっても細部での作り込みが微妙に違うものである。そしてそういったちょっとした違いをことさら気にする人も多いのである(OAKなるマイナーIMをこよなく愛する僕などその典型だろう)。よく考えてほしい、「シェアなんて無意味だ」と言っているのは「ソフトや周辺機器なんて定番さえあれば構わない」と言っているのと同じである。ならば、OSだって定番さえあれば構わないのではないか? シェアの効果を否定するのはMacの存在意義を否定するのと等しい。「OS選択の自由」を重視するMacユーザーなら、「シェアの効果=アプリ・周辺機器選択の自由」についてもご理解いただけるものだと思うのだが。
Apple報道に見るウソとホント
悪いが、このシメは最低だ。常にApple寄りの物の見方をする、私設エバンジェリストの大谷氏は「公平な比較」を標榜する本特集には最も場違いな人選ではないか? 余談だが、大谷氏がかつて連載ページを持っていたソフトバンクの月刊PCが96年3月に休刊して以降、滅多に一般PC誌に登場しなくなった大谷氏をいつまでもエバンジェリスト(伝道師、本来はサードパーティー等に対してAppleの宣伝をする「カリスマ広報」みたいな役職のこと)と称するのは如何なものだろうか。
本章をざっと要約すると以下の様になる。
Appleにまつわる2000年後半のネガティブな報道は的外れな、ゴシップ記事の様なものである。
それは、各マスコミのアップルに対する知識不足からくるものである。
マスコミの多くは、MacとWindowsの違い、特に思想や技術的な作り込みを理解していない(ここでいう「違い」とはやっぱり「Macの方が優れている」ってことなんだろうな、大谷氏だし)
その典型が、多くのマスコミが「MicrosoftによるApple株の取得」の意味を取り違えていることだ。
マスコミは、きちんと調べてから情報を流すべきだ。
また、記者は自分で考えて記事を書くべきだ。例えばWindows95のシェアを9割以上と誤報したAERA97年6月23日号などその代表だ。
それぞれについては確かにごもっとも。しかし、これらのことは大谷氏を始めとするMac系マスコミにもほぼそのまま当てはまってしまう。まず第一に、大谷氏はAppleだけがゴシップの対象であるかの如く発言している。しかし実態はどうだっただろうか。1999年のゴシップの主役はAppleでなくMicrosoftだったのではないか? なるほど、散々持ち上げておいていきなり梯子を外すのはマスコミの常套手段だ。しかしそのターゲットとなるのはAppleだけに止まらない。Windows2000のバグ60000個を(その意味もろくに検討されずに)ことさら大きく取り上げられたMicrosoftはまさにそうだったし、2000年にしても(Appleよりは扱いは大きくないが)インテルやトランスメタも同様の扱いを受けている。要するに、ある程度成功を収めた企業は常に梯子を下ろされるリスクを持っているのである。しかし大谷氏らはこのことにはとくに触れず、Appleだけが被害者のごとく振る舞っている。これも一種のゴシップと言えるだろう。
また、2000年のAppleのネガティブな報道が、特に日本ではMacユーザー(それもベテランユーザーの)ボヤキを発端としとしている点にも着目すべきだろう。(というよりMacユーザーとしては大ベテランである大谷氏がこのことを知らないはずも無い。) Apple報道がゴシップなのは事実だが、 それだけでないのもまた事実である。
また、最近WindowsはおろかMacのことすらろくに知らないMacライターが目立つのも事実である。もちろんそうでないライター氏もいらっしゃるが。そして、そういうライターが増えて来た一因は、彼らの多くがAppleに対する賛美記事ばかり書いていた大谷氏の様な一部ベテランライターの言うことを鵜呑みにしているからでは無いだろうか。
MicrosoftによるApple株の取得についてはどうだろうか。確かに議決権が無いので朝日新聞の報道はやや過激と言える。しかし、議決権が無いからって問題がないわけじゃない。確か3年経ったらMicrosoftはApple株を譲渡してもよいという契約になっていたはずである。もしAppleの体力が弱っているときに、Microsoftが保有株式を投げ売れば市場がパニックを起こしてAppleが崩壊する可能性だって充分ある。いわばMicrosoftはAppleに止めを刺す武器を手に入れた様なものだ。しかし、当時のMac誌でこのことに言及した人を僕は寡聞にして知らない。「意味の取り違え」はお互いさまだろう。
また、「例えばWindows95のシェアを9割以上と誤報したAERA」に対する反論はある意味AERA以上に悪質だ。大谷氏は、
実際にはWindows市場は、NT、3.1、95、CEといった異なるプラットフォームの集合体であり、米パーソナルコンピュータソフトウェア協会調べの'96年の設置台数ベースでは、Macの16%に対してWindows95は18%と、ほぼ互角だったからだ。
と言っているが、CEやNTサーバーはともかくNT workstationやWindows3.1は共通して使えるアプリケーションも多く、別々に分ける理由など無いだろう。NT3.5のころから安定性を理由に個人でNTを入れていた人はたくさんいるし、オフィスで事務用途にMacを使う人だっているだろう。また、「Windows全部とMacとの比較」をアンフェアというならば、大谷氏が例示した「Windows95対Mac全部」だって同様にアンフェアだろう。Windows95と比較するならMacintosh System7.5あたりと比較するのが妥当ではないか? いや、用途と登場時期の両者を重視するなら「Win95+WinNT Workstation(3.51以上) vs Macintosh Syatem7.5」こそが妥当な比較だろう。「Macの16%に対してWindows95は18%」など単なるデマゴーグにすぎない。
このように、残念ながら大谷氏を始めとするMac系マスコミの一部は、残念ながら大谷氏の指摘に見事に当てはまってしまう。最後に、大谷氏の言葉(p.41)を引用して本稿の締めとしよう。
報道自体はきちんと分析して行われてほしいものだ。