ダン・ミース氏に関するあれこれ

平野博昭広島市議が、「広島新球場官製談合疑惑」のキーマンとして挙げているダン・ミース氏(リンク1[archive]2[archive]ですが、氏の建築家としての略歴が載っているサイトを見つけました。

なお、以前の記事 では、ミース氏の綴りを"Mies"としていましたが、これは間違いらしく、"Meis"が正しいようです。また、海外のサイトでは氏のファーストネームは「ダン」で通っているようなので、このサイトでもその表記に準じます。

(2/6追記あり)

まずは「Building Design+Construction」の記事から。Dan Meis Joins Nadel Architects as President[archive]というもの。

この記事によれば、ミース氏は2004年に独立して"Turner Meis + Associates"社を立ち上げ、その翌年、Nadel Architect社に社長として迎えられたようです。

Nadal Architectのサイトには、過去のミース氏の作品の一覧が載っているのでぜひご一読を。NBBJ上海支店にも無い新球場案の絵ものっています。また、新球場の説明には、秋葉市長からデザインの要請を受けたことも、市民球場の鯉の絵からインスピレーションを得たことも、ちゃんと記載されています。

一方の当事者であるミース氏は、秋葉市長とのつながりも、絵からインスピレーションを得たことも、別段問題であるとは考えていないようですね。

以下、2/6追記分

ミース氏はシンシナティのフットボールスタジアムであるPaul Brown Stadiumの設計者ですが、地元紙のThe Enquirerの記事(リンク切れ。URL: http://reds.enquirer.com/1999/08/29/red_a_search_for_perfect.html) によれば、シンシナティの野球場にもアイディアを持ち込んでいるようです(この時点で設計者はHOKに内定済)。 アメリカでは、このように、設計者が売り込みのためにプレゼンテーションを行う、というのは良くあることのようです。同じ流れで、ミース氏は広島市長にコンタクトをとってプレゼンテーションを行った、ということでは無いでしょうか。結果として、ミース氏の案は採用されなかったわけですし。

あと、ミース氏の作品と、これまでの新球場案を比べてみると、環境デザイン研究所案は、ミース氏の新球場案よりも、エンティアム案よりも、はるかにPail Brown Stadiumに似ていると思います。(特に横から見たイメージ。環境デザイン研究所案の側面図はベースボール・マガジン社の「球場物語2」に載っています)

そうすると、エンティアムのときはミース氏はあまり関与していなかった、ということになるんでしょうか。

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Note

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