前田尋之「ホビーパソコン興亡史」(オークラ出版)感想
- 公開日: 2014/11/02(日) 13:56[JST]
書店でたまたま見つけた本書。70年代末からWindows95の登場する前までのホビーパソコンの通史を、「95年以降にパソコンに触れた」人向けに解説した、とうコンセプトの書籍のようだ。
まず感じたのは「先を越された!」という悔しさ。僕自身FM-7→FM77AV40EX→FM TOWNSとこの時代を一ユーザとして過ごしてきたこともあり、自サイトでいつか書いてみたい、と常々思っていたテーマだからだ。
で、読んでみた感想。コンセプトが上記のように通史説明というものであるため、当時のユーザにとってはとりたてて目新しい情報は無かった。また、著者である前田氏はMZ-80B、X1、X68000と渡り歩き、X1では開発経験もある方のようだ(本書後書きや、前田氏のTwitterアカウントより)。その為、シャープ系ユーザ的な(或いはOh!MZ、Oh!X読者的な)視点からまとめられているように思える。FMユーザである自分にはその点が気になった。やや強引な解釈と思われる部分もあり、「ホビーパソコン通史」としては不完全では無いかと思う次第。
著者の前田氏自身、本書前書きにて「あくまでも著者個人の経験と見聞に基づいた内容であるため、別の視点・立場から見た場合、必ずしも真実ではない可能性もありうる。これについては、是非ご指摘いただければ幸いである」との見解を示している。この様な通史に関しては、いろいろな視点から議論していくことでより正確なものとなると考える。なので、当時のユーザとして気になった点を列挙してみようと思う。
ホビー寄り雑誌について
本書17ページには「一方、割と技術寄りだった先行各誌に対し、ゲームプログラムやソフト情報を扱ったホビー寄りの雑誌として(中略)と、エンターテイメント系の出版社が参入してくる」との記載がある。この「先行各誌」というのは「I/O」「月刊アスキー」「月刊マイコン」「RAM」、それにソフトバンクのOh!シリーズを指す。またここで挙げられているホビー寄り雑誌は「ログイン」「マイコンBASICマガジン」「ポプコム」「コンプティーク」「テクノポリス」である。
「エンターテイメント系の出版社」とあるが、「ログイン」「マイコンBASICマガジン」はそれぞれ「月刊アスキー」と「月刊マイコン」のジュニア誌という位置づけであり、技術系出版社によるものである。また、これら各誌も創刊当初は(リアルタイムで見ていたわけでは無いが)Wikipediaの記事などを見るかぎり、技術系の内容が主体だったようだ。僕の家にパソコンが来た当初(1983年)、購読していたのはマイコンBASICマガジンだったが、主体は読者投稿のゲームプログラムであり(このようなゲームプログラムの掲載はI/O誌のような先行各誌にもあった)、市販ゲームに関する記事は別冊扱いだった。テクノポリス誌も、8ビット機同士のベンチマークなど固めの記事が主体だったと記憶している。
当時のホビー寄り雑誌というのは、元々、パソコンの低価格化に伴うティーンエイジャー層の増加に伴う需要から生まれたものであり、当初は平易な内容ではある(機械語ではなくBASIC言語が主体)ものの基本的には技術系(当時は市販ゲームってあんまりなかったし)、その後市販ゲーム市場が立ち上がるにつれゲームのウエイトが大きくなっていった(ログインのゲーム雑誌化は三代目である小島文隆編集長の時代になされたものである)、というのが僕の見解である。
富士通F-BASICについて
本書19ページには「ちなみに、シャープと富士通も直接マイクロソフトの製品を採用しなかっただけで、実際のところ中身はマイクロソフトの影響を大きく受けている」という記載があるが、そもそも富士通のF-BASICの起動画面にはちゃんとマイクロソフトのコピーライト表示がある(シャープ機種用のHu-BASICの起動時に表示されるコピーライト表示は開発元であるハドソンのもの)。
BASICからDOSへの移行について
本書19-20ページには「しかし1980年代後半になり(中略)BASICを起動してファイル操作をするという行為自体が不合理なものと移るようになる。また、市販品ソフトでそもそもBASICを使わずマシン語で記述されるものが増えたこともあり、ファイル操作やシステムを共通して扱えるOSの必要性が高まることとなった。そのため、次第にMS-DOSなどのCUI(Character User Interface・文字で入力する操作系)を使用したOSが一般的になっていったのである」という記載がある。これは(必ずしも間違いではないが)ちょっと誤解を与えかねない。
というのは、実際は8ビット機はずっとBASICをエンドユーザ向けの基本的なOSとして使用しており、一方16ビット機は(最初期を除いて)一貫してDOSを使っていたからだ(1980年代前半にはDOSで一本化されていたと記憶している)。また、8ビット機にもOSは初期から提供されていた(Z80系であればCP/M80、6809系であればFLEXやOS-9)が、これらのDOS/OSが主流になることは無かった。あくまでもマシン語プログラマ向けの開発環境という印象。
「8ビット機においては、当初はカセットテープが補助記憶装置だったこともありファイル操作をユーザ自身が行うという需要は低く、アルテア以来の実績があるBASICが事実上のOSとなっていた。また、時代が下がると8ビットパソコン用のアプリケーションソフトはパソコンのリソースを使い切る方向に進化していき、ファイル操作などもアプリケーション自体が提供するようになった。このため、一般ユーザにおいてはファイル操作の需要が低く、末期までBASICが主OSの座にいつづけることになった。一方、16ビット機は初期からフロッピーディスクベースでの運用が基本であり、またビジネス用途が想定されたことから、『ユーザがファイル操作を行う』ことへの需要が高く、早い時期にDOSが標準OSの座に収まった。後に80年代後半になると16ビット機がホビー用途に進出しはじめたが、この時のOSはDOS(或いは類似のCUI OS)がそのまま採用された」というのが僕の解釈だがどうだろう。
MC6800/6809について
本書21ページには、上記CPUの説明として「豊富な命令や大量のデータを扱うことに適したCPUで、日本のパソコンではFM-7/77シリーズのみと採用例は少ないが」との記載があるが、日立のベーシックマスターシリーズや松下電器のJR-100/200も6800や6809を採用している。また、6809の強みは何よりも「ポジションインディペンデント(或いはリロケータブル)なプログラムを作るのに適した分岐命令を備えており(逆に絶対アドレスを指定して分岐する機能が弱め)、モダンOSとの相性がよい」だと思う。それ故に、ベーシックマスターやFMシリーズは、8ビット機にも関わらずマルチユーザ・マルチタスクのOS-9が動作していた。
フロッピーディスクについて
本書27ページには「現在でも3.5インチ用ドライブやディスクはパソコン専門店で比較的容易に入手することができ」との記載があるが、さすがに2014年時点では入手困難ではないだろうか。最後までディスクを生産していたのはソニーだが、2011年3月に撤退している。現在では店頭在庫が細々と残っている状態であり、これを比較的容易(そりゃオークション頼みの5インチや8インチに比べれば容易だけど)というのはちと苦しい。
また、29ページには、5インチフロッピーの一般的な容量として2Dと2HDが、3.5インチフロッピーの一般的な容量として2DDと2HDが示されている。しかしPC-9801シリーズ用のゲームの供給メディアはある時期まで(5インチも含め)2DDが主流だったし、FM-77シリーズのソフト供給は3.5インチ2Dだ。また、MSX用として3.5インチ1DDというのもあったと記憶している。
第1次パソコン戦争について
本書の25ページから71ページの「第2章 NEC・シャープ・富士通 パソコン御三家の台頭」では、70年代末から(PC-8801mkIISR)が登場するまでの84年頃までの歴史を追っていく形になっている。このあたりの記載についてはちと不満が残る。
まず、52ページから53ページにかけて記載されているMZ-700シリーズの記載が変。「同時期のライバルに比べて長らくパッとしなかったMZ-700だが~」という枕詞に始まって、Oh!MZ誌上に掲載されたタイニーゼビウス、ファンタジーゾーンやスペースハリアーの話をしているが、タイニーゼビウスが発表された1986年といえば、「長らくパッとしなかった」どころか(後継機のMZ-1500を含め)完全に終息した状態ではないだろうか。特筆すべきトピックではあるが、PC-6001mkII版スペースハリアーと同様「完全に終息したマシンに最新のゲームが移植された」ことに特筆性があるものであり、これによってMZ-700や後継機の1500が売れたというわけでもない。
また、X1がこの章で説明されていなかったり、MZ-80B系列が説明なしというのはいかがなものだろうか(少なくともMZ-2200はFM-7や初代X1と同時期のホビーマシンである)。
また、56ページの「バブルメモリを搭載した為に価格は218000円と高価で~」というFM-8の記載がある。しかしながら、FM-8はバブルメモリ(やバブルメモリを差し込むためのコネクタ)を標準では搭載していない。また、218000円という価格も、PC-8801やベーシックマスターレベル3と比べれば妥当な価格だ。
この記載を含め、FM-7シリーズについては説明不足気味で「他機種ユーザから見たFMシリーズ感」という趣きが強い。例えば「これらの補助入力装置(ジョイスティックね)はFM-7のゲーマー間でマスト・アイテムとなった」というのはちと違う。また「キーを離したことを検出できないため、アクションゲームでキャラを止めるため他のキーを押す必要があった」のは事実だが自分も含め当のユーザは大したデメリットとは感じてはいなかった。むしろ「キーを押しっぱなしにしなくても済むので楽」というメリットもあった。
FM音源カードが出るまでのFMシリーズ用のジョイスティックは、プリンタポートにつなぐアスキーのQuickShot(ジョイスティック自体はSpectravideo社のもののOEM)や電波新聞社のXE-7があったが、前者はジョイスティックに付属のゲーム位しか無かったし、後者も対応ソフトは基本的に電波新聞社のもの(ゼビウス以降)のみだ。そして、FM音源カードにはジョイスティックが付属していたが、ユーザは別にジョイスティックの為に音源カードを買ったわけじゃない。ちなみに、ザナドゥはFM音源対応だがジョイスティックには対応していないし、末期のアクションゲームであるイースもジョイスティック未対応(FM77AV版は対応していた記憶がある)。ジョイスティックがマストアイテムになったのはジョイスティックポートが標準搭載となったAV以降であると理解している。
また、FMシリーズに関してはサブCPUの存在が記載されていないのが不満。キー入力の検知云々よりもこっちの方がボトルネックだったし。僕がFM-7について書くならこう書く。
FM-7は81年に登場したFM-8の後継機種である
FM-8は、640x200、8色のグラフィック機能など高機能/高性能であり、218000円とホビーパソコンとしては高価だったがマニア層の間で一定の評価を得るに至った。特にI/O誌ではインベーダゲームの移植など多くの記事・プログラムが掲載された。
FM-8はグラフィックコントローラとして6809を(メインCPUとは別途に)設けており、このサブCPUのメモリ空間(8ビット機のメモリ空間は64キロバイトなので、48キロバイトものVRAMをどう扱うかは各社悩みの種だった)にVRAMをマッピングしていた。FM-8はVRAMを直接操作することは想定されておらず(BIOSコールで描画することを想定していた)、マシン語でのアクションゲームの開発は当初困難と思われていた。そして、この特性はFM-7にも引き継がれている。ただし、通称「YAMAUCHIコマンド」というサブCPUを直接制御する為の裏コマンドが(FM-7登場前の時点で)明らかになっており、工夫すればアクションゲームも可能、という状態だった。
この様に、FM-7は高性能低価格であったことに加え、FM-8との互換性が高く開発ノウハウもある程度蓄積されていた。そのため、初期段階でのゲームソフトにもそこそこ恵まれ、マニア層からライトユーザまで幅広い購入層を確保できた、というのが(この時点での)勝因だったと思われる。
しかしながら、ゲーム開発が高度なものとなっていくと、ただでさえ開発者の少ない68系CPUであることに加え、サブCPU経由でグラフィックを扱わなければならないという煩雑さ(VRAMとグラフィック制御用BIOSがサブCPUのメモリ空間を占めておりサブCPUが扱えるメモリが1キロバイト[8/9追記: ここは間違いで正しくは約5キロバイト。4キロバイトのコンソールバッファーRAMを見落としていた]ほどしかない)もあり、伸び悩むようになる。(5インチと3.5インチフロッピーの双方でソフトを供給する必要があるという、営業上の困難さもあるだろう)
ゲームアーツ創業時の話について
本書143ページには「特にNECは当時はまだ無名だったゲームアーツに、正月休み中の短期間とはいえ、まだ試作機段階であったPC-8801mkIISRを貸し出している。同社の初期の大ヒットタイトル『テグザー』はその貸し出し期間中に生まれたゲームである」とあるが、開発者(内容から上坂哲氏と思われる)が2chで語った裏話「テグザー100の秘密等から、実際は以下の通りだったようだ。
ゲームアーツの会社紹介PDFによれば、ゲームアーツの設立は1985年3月2日で、正月休み中は無名どころか設立前
テグザーの開発者は上記上坂哲氏と五代響(池田公平)氏で、どちらもアスキーの常連プログラム投稿者だった
上記テグザー100の秘密によれば、テグザーの開発に使った88SRのプロトタイプはA社にあったもの。開発者の経歴や、88版のテグザーの発売元がアスキーだった(レトロゲーム紀行に掲載されているパッケージの裏表紙参照)ことを考慮すると、A社とはアスキーのことで間違いなさそう。
おそらく、NECがゲーム開発を依頼したのはアスキーで、アスキーがその仕事を技術力のある常連投稿者に割り振り、88SRのプロトタイプを彼らに又貸しした、というのが実際のところではないだろうか。
続・第1次パソコン戦争 8ビット戦争終結編
本書176~183ページでは、8ビット機におけるNEC・シャープ・富士通の取り組みと「なぜNECが勝ったのか」に関する著者の考察がまとめられている。個人的には、この考察は著者の主観が強く出すぎているように感じた。私も含め、当時の非メジャー系PC(88SR、98、MSX以外)のユーザは情報源のほとんどがソフトバンクのOh!誌という状態であり、良くも悪くもこれらの雑誌の主張に影響をそれなりに受けている。つまり、誰もが大体偏っている(もちろん僕も)。何で、著者と別ベクトルで偏っている僕が読むと違和感を感じた、という次第。
この辺りの歴史の総括を客観的に行うのであれば他機種ユーザとの議論は必要かと思う。
てことで、8ビットパソコン史に関する僕なりの考察を書いてみようと思う。
パソコンの登場と分化
NEC・PC-8001、シャープ・MZ-80K、日立・ベーシックマスターから始まる日本の8ビットPCだが、その後、メーカー戦略によってハイエンド機、ミッドレンジ機、ローエンド機の3つに分化することになる。
NEC: ハイエンド→PC-8801、ミッドレンジ→PC-8001、ローエンド→PC-6001
シャープ: ハイエンド→無し(あえていうならMZ-3500)、ミッドレンジ→MZ-80B/2000、ローエンド→MZ-80K/1200/700
日立: ハイエンド→ベーシックマスターレベルIII、ミッドレンジ→無し、ローエンド→ベーシックマスターJr.
また、富士通がハイエンド機としてFM-8を、東芝がミッドレンジ機としてパソピアを投入する。これら新参メーカーを含むハイエンド機は、おそらくはビジネス用途を主眼に置いたものだったのだろうが、高性能かつ個人でも何とか手の届く価格帯だったため、マニア層にも支持されることになる。
PC-8801とFM-8はこの時期に一定の支持を受け、ソフト資産や開発ノウハウが蓄積されていくことになり、これが次世代で有効に効いてくる。また、この時に(微妙な性能で)出遅れた日立と東芝は次世代でも苦戦することになる。
FM-7ショック
富士通FM-7は、FM-8から(個人用途では)使用頻度の低いシリアルポート、バブルカセットインターフェース、A/Dコンバータを除き、CPUを高速化しさらにPSGシンセサイザーを追加したモデル。これをハイエンドではなくミッドレンジ帯に投入した。これが1982年秋の話。この前後、各社がミッドレンジ機の新製品を投入したのだが、FM-7は、
トップレベルの性能及び機能
画面制御をBIOSコールで割と簡単に行うことができたので(高度なことをしようとしなければ)機械語ソフトの開発も比較的楽
FM-8とソフト的には完全上位互換なので開発ノウハウが蓄積されていた
というアドバンテージがあったことがヒットの原因だろう。これに対して他社の製品は、
NEC PC-8001mkII: グラフィック、サウンド共ににいまいち
シャープ MZ-2200: グラフィックはFM-7と同等だがシンセサイザー無し。ベースとなったMZ-2000はグリーンモニタ内蔵の単色機(オプションをつぎ込めばカラーになるけどそんな贅沢な環境は(PC-8801は元よりFM-8と比べても)メジャーじゃなかった)なので開発ノウハウも弱め。
日立 ベーシックマスターレベル3マーク5: 基本的にベーシックマスターレベル3+PCG。これでは勝負にならない。
東芝 パソピア7: 機能的には(音源が6chな分)FM-7を上回る。だがその機能は新しく追加されたものなのでノウハウの蓄積に欠ける。
三菱 MULTI8: 機能的にはFM-7と同等。しかし登場はFM-7の10か月後であり、また、全くの新機種なのでノウハウの蓄積がない。
という状態であり、FM-7が(この時点では)勝利したのも当然といえば当然か。シャープX1はPCG搭載等FM-7を上回る機能であったがこの時(初代X1、所謂マニアタイプ)はグラフィックVRAM(シャープではG-RAMと呼んでいた)が別売りであり、これと専用モニタを合わせると30万くらいとなり、(かつてのFM-8同様)マニア層の支持を受けたまでにとどまった(が、それゆえに後継機で巻き返しをはかることができた)。
また、価格性能比の高かったFM-7はローエンド機の市場にも食い込んでくることになる。
NECとシャープの巻き返し
とはいえ、FM-7の時代もそう長くは続かなかった。NECとシャープが的確な対応をとり、富士通は戦略をミスった、というのが僕の見解。
NECはマニア層の支持を得ており、2年分のノウハウの蓄積のあったPC-8801の後継機、8801mkIIをホビー向けに投入(83年11月)。「88は(次機種である)SRがターニングポイント」といわれることが多いが、僕はこのmkIIこそがターニングポイントだったと思っている。8001の機能強化には時間がかかるわけだから、グラフィック面で勝負できる88をぶつけるのが最適解だろう。サウンドが弱いのがネックだがこれは拡張カードで何とでもなる。
mkIIの投入で一定のホビーユーザ層を確保しておき(実際僕のまわりにはmkIIユーザが多かった)、1年2か月後にAV機能強化版のSR投入、さらにその10か月後に廉価版のFR投入と、完璧な対応だったといえる。mkIIで持ちこたえてなければSR以降の躍進もなかったのではないだろうか。実際、テグザーもザナドゥもmkII以前対応版が併売されており、SR以降一色になる86年末ごろまではmkII以前も加えたぶ厚いユーザ層がシェア拡大の原動力となったのではないだろうか。
シャープも、グラフィックVRAMを内蔵した上で価格をFM-7以下に落としたX1Cを83年11月に投入。そして84年にはキラーソフトとなる「ゼビウス」が登場。X1はPCGを持っている分アクションゲームが作りやすい、というのが大きなアドバンテージであり、先に説明したゼビウスを初めとするナムコのゲームが電波新聞社によって精力的に移植された。また、ファルコム黄金時代の魁となった「ザナドゥ」と、次に登場する「ロマンシア」(いずれも木屋善夫氏による開発)がX1版から登場したというのもX1の性能故だったのではないだろうか[8/9追記: コメントのご指摘に基づき訂正。ザナドゥは(テープ版の店の画像表示を除き)PCGを使っておらず、またとまと/tk_nz氏による同人誌「ザナドゥ・バイブル」によれば、当時ファルコムがシャープより拡張メモリ2枚付きのX1turboの提供を受け、それに恩義を感じた木屋氏がX1版の開発を優先させたとのこと]。
これに対し、富士通は後継機を出すのが遅かったのではないだろうか。後継機であるFM-77は84年5月。FM-77は、
サイクルスチール採用によるグラフィックの高速化
MMU(富士通での呼称はMMR(メモリマネジメントレジスタ))の搭載による最大メモリの増大
3.5インチFDDの採用
という機能強化があったのだが、FM-7はヒットしたとはいえ万全とは到底いえなかった状態なのだから、この程度の機能強化をやるくらいならさっさとFDD内蔵のFM-7を投入すべきだった、と思う(それこそFM-7の基板をそのまま流用してでも)。また、他機種とは違い直接VRAMを操作できないというのが、ゲーム開発が高度化し始めたこの頃からディスアドバンテージとして効きはじめる(ただでさえモトローラ系プログラマはZ80系に比べて少ないのに)。あと、フロッピーは5インチで統一すべきだった。配布メディアがテープ、5インチFDD、3.5インチFDDに別れたことはソフトハウスにとって無用なコストアップ要因になってしまったのではないだろうか。
ともあれ、結果として8ビットPCのミッドレンジ帯は88シリーズの圧勝。また、88がミッドレンジ帯に移ったことで自動的に「8ビットハイエンドPC」というジャンルは消滅。だってビジネス用途なら16ビット機を使うし。富士通のFM-11AD2+や日立S1という我が道を行くハイエンド8ビット機が残っていたが。一方ローエンド帯ではMSXが市場を制した。
その後の8ビット機
88SRに対して富士通はFM77AVを、シャープはX1turboを投入する。FM77AVはそれまでのFMシリーズの欠点を払拭した優れたマシンだったが、一度付いた差を再逆転するには差が大きすぎた。一方X1turboは(他機種ユーザからみて)旧来のX1シリーズからの強化点が地味かな、と感じた。とはいえ、両機種とも16ビット機に世代交代する89年頃まではそれなりにソフトも出ていたので、何とか生き残れたというところだろう。少なくとも僕はFM77AV(40EX)ユーザだったことを全然後悔していない。X1turboユーザも同じだろう。
最後に各機種の自分なりの評価を
88SRはALUという「論理演算しながらVRAMに書き込みの出来る」というアクションゲームの為としか思えない機能を追加したのが大きかったと思う。これにより、スムーズスクロールさせるアクションゲームが作りやすくなった。そういう意味でファルコムのイースシリーズは88SRを代表するソフトだったと思う。PCGを使ったスクロールだとどうしてもスクロール単位が8ドット単位になってしまうのがネック。[8/9追記: コメントで指摘いただいたことを切っ掛けに考え直した所、ALUとスクロールは直接関係なく、また、88シリーズ用のゲームのスクロールは例えば16x8ドットのキャラクタ単位のものが主流であり、加えてPCGでも細かいスクロールは可能(X1センターの掲示板によれば、X1用ゼビウスではPCGを40桁x50行に設定して縦4ドットスクロールを可能にしたとのこと)のでこの項目撤回]
FM77AVはグラフィック性能もさることながら地味に標準メモリ128KBが大きかったと思う。確かにVRAM増やしたらメインメモリも増やさないとまずいよね。惜しむらくはここまでやってFDDが2Dだったこと。最初から2DD載せてたらもう少し色々できてたんじゃないかな。スペースハリアーのステージ名表示とか(AV版はステージ開始時にステージ番号だけでステージ名の表示がなかった)。
X1turboは前掲2機種に比べるとパワーアップが地味かな。400ライン表示はあったけどホビー用途では使わない機能だし(200ラインカラーを複数持てたことの方が大きいのかな)。あとDMAが付いてディスク読み込み時に処理が止まらなくなったこととかか。
FM TOWNS関連
うーん、ここも他機種ユーザ(というかOh!X読者)から見たFM TOWNS観になってるなー。
211~212ページ「メモリアクセスやCD-ROMの読み込み速度が遅いこともあって、応答性が要求されるアクションゲームなどには不向きであった」→いや、別に不向きじゃないぞ。「パソコンの被ったアーケード筐体」ことX68000に比べると分が悪いというだけで。X68000に劣ってるのもメモリアクセスやCD-ROMのせいじゃなくて、どっちかといえばBG(8ビット時代はPCGと呼ばれてた技術)の有無とか、スプライトで画面一枚使ってるから背景ビットマップを一枚しかとれないこととか、ラスタスクロールが難しいとことかが主要因でしょ。
212ページ「FM TOWNS用ソフトのうちマーティーで動作するソフトはわずか3分の1程度であり」→これは、Wikipediaのマーティーの「マーティー発売以前に発売されていたTOWNSタイトル約660本のうち、約200本がマーティー対応で、新作ソフトを含めると発売時点で約250本のソフトがマーティー対応とされていた」という記載が元ネタかな? これってたぶんマーティーの広告に乗ってた「マーティー対応250本」が一人歩きしたのかな。実際はこの時点のTOWNSソフトは(FDD2ドライブやメモリ4M、HDDを要求するもの以外は)大抵動いたはず。例外は386SX非対応のファミスタくらいかと。
214ページ、VTOWNSの説明「しかしFMVとしてはともかく、FM TOWNSとしての機能は拡張カードを介して単なるエミュレーション(擬似的に対象の機械を真似る技術)であり、動作速度はカタログスペックのそれに到底及ばない代物であった」→Oh!FM TOWNSにベンチマークが載ってるので確認したけど、CPUがPentium90MHzのV-TOWNS Fresh GTと同じCPUのモデルHCを比較して、演算性能は同レベル、一部グラフィックの描画(特にTBIOSを使うもの)でV-TOWNSが(最大で6倍程度)遅くなる(VRAM直書き込みだとそう変わらない)、という結果だった。オーバーヘッドはあるけど「到底及ばない」ってほどじゃない。(むしろAT互換機としての性能の方が(以下略))
218ページ「FM TOWNSシリーズの系譜」
モデルEAが抜けている。配置するならME/MFの下
モデルMXは486DX2
モデルHAはPentiumじゃなく486DX2
モデルHA/HBからWindowsアクセラレータ搭載
モデルHCは廉価版じゃなく高速(Pentium90MHz)版
Fresh E/Tのところに486SX搭載って書いてあるけど486DX2搭載(Eのみ)の誤記。ていうか無印Freshの時点で486SXだし
WindowsアクセラレータもFresh Eから搭載(Tは未搭載)
Fresh FS/FTは廉価版じゃなくて高速版(486DX4)。むしろES/ETが廉価版
V-TOWNS Fresh GE/GMは486DX4じゃなくてPentium120MHz版。(前機種のFresh GS/GTは90MHz)
こういうノスタルジに頼った書籍が悉く紙ごみや資料としてカスな理由がわかった気がする。
「調べる、確認する、考える」ことを放棄して作り散らかされるからなんだ。そして、それをみて「俺にもこの程度なら」とそのまがい物があふれかえるのだろう。
>これにより、スムーズスクロールさせるアクションゲームが作りやすく
>なった。
挙げられているゲームに「そんなゲームがひとつも無い」のはどういうことか。ゲームのためだけではなく、狭いアドレス空間でグラフィックス処理をまともに行うひとつの答えだとおもうのだが。カクカクと8ドットスクロールしてるのが「スムーズスクロール」に見えるのですか?
ゲームさせたきゃもっとそういう実装にします。
補助にはなりますが「作りやすいわけでもいいものが作れるわけでもない」です。動きでファミコンに勝てたものがいくつあるか考えるまでも無いです。言うほど大層なことが出来るほどは強力じゃないのはSORCERIANの表示ルーチンでもみたらわかります。
>PCGを使ったスクロールだとどうしてもスクロール単位が8ドット単位
あなたが挙げているXEVIOUSですら4ドットスクロールを実現していますが、節穴ですか?他にもたくさんありますが例は必要ですか?ほかもどうかと思いますがひどいのはこの二点ですかね。
思い出話なら記憶は劣化するよねで済みますが、人様の仕事にケチつける側もこの有様でこのカテゴリの本がまともなわけが無いんだよな。せめて、公式な資料の確認、雑誌の確認、取材くらいしてから、物は書くべきだと思う。というか、20年以上も前の思い出が正確であるという自信がどこにあるのか小一時間この手のものを書いてる奴には問い詰めたい。ええ。ただの思い出話をドヤ顔してるだけなら何も言わないんですよ。正しいの、資料だの言わなければ。でも、書籍ならそんなゴミいらないけどね。
ご指摘ありがとうございした。
考え直してみると、ALUの論理演算とスクロールは直接の関係は無いように思われました。この点は次回更新時に撤回します。また、PCG関連についても見当違いであった上蛇足だったので撤回します。
ちょっと違う見解であるところを書かせてください。
ちなみに82年にFM-8から入り、88年からゲームプログラマをやってました。
ただプロになったときにはFMの市場は既に小さく、仕方なくMSXや9801やゲーム機をやりました。
ログインは季刊であった82年まではまだわずかにプログラムリストが載っていましたが、月刊になった83年にはもうゲーム情報誌と言っていい状態になっていました。
ふざけ始めたのは小島になってからですが、それ以前からゲームソフトレビューや海外ゲーム情報が多く軟派なイメージでしたよ。
(なお、80年代後半の話ですが、ソフトハウス側ではログインのソフトランキングの順位を広告や情報提供などで左右できるという話がありました)
BASICマガジンも、82年月刊化以来ずっとBASICリストを掲載していましたが、83年後半にスーパーソフトマガジンが付くようになってからはそちらを目的に買う人も増えました。
初期のポプコムやテクノポリスも、多少はプログラムリストがあったりしましたが、すぐに情報誌化したと言ってよいと思います。アニメやCGを重視してましたしね。
テクポリのアニメキャラベンチマークもとても硬派な記事とは言えないかと。(FM-7の販促には大きく貢献しましたが。BASICによるラインとペイントのベンチマークはFMの最も得意とするところでしたから)
個人的に硬派な記事っていうのは、I/Oではxxx活用研究に載るようなものや、アスキーのロードテストや解説記事のようなものかと。
硬派か軟派かなんて主観なのでどうしても見解は分かれるところですけどね。
FM-7については戦略ミスよりもありましたが、なによりも設計ミスかと。
83年こそ圧倒的なコストパフォーマンスとサブシステムによるBASICのグラフィックの速さで多くのショップで一番の売り上げを誇りましたが、84年には早くも逆転されてしまっています。
Oh!FMでしたか、YAMAUCHIさんはFM-7のときでさえゲームを主目的には想定してなかったようなことを言われていました。
個人的には1にキースキャン、2にサブシステム、3,4がなくて5に6809などです。
キースキャンでアクション系のプログラマのモチベを無くしユーザーの購入意欲を無くし、サブシステムで入門者や88MZからの移行プログラマに壁を作っていました。
私自身、サブシステムには本当に苦労させられました。上手くはまれば高速化もできたりするのですが。
もしFM-7のときからキースキャンの改良だけでも(できればVRAMダイレクトアクセスも)できていたら88に逆転されなかった可能性は十分あったと思います。
その2つの改良なしでディスク内蔵版が出ても、ディスクへ移行する時期を早くすることができたとしても最終結果は同じかと。
ディスクといえば77の3.5インチ化は余計だと思いました。5インチ・3.5インチとソフトハウスがFM-7のソフトを扱う際にコストが余計にかかるようになってしまいました。
当時はソニーが3.5インチドライブをメーカー各社に普及のためかなり安価に提供してたと思いますが、継続性を大事にして欲しかったと思います。
6809である不利は決定的な問題ではありませんでした。CPUの壁なんて大したことはありません。
ファミコンがヒットした後に6502プログラマが大量に増えたのを見ても分かります。
ただ一つだけあるとするなら、80年代後半の88やMSX等のゲーム開発現場ではICEを使うことが一般化しましたが、6809のICEは高価かつ選択肢があまりなかったように思います。
(関係ないですが、FM-7でもいくつか素晴らしい作品があるキャリーラボの長谷川さんは、ギャプラス(6809を2個使用)を9801に移植される際に解析のため6809のICEを使ったそうですが、片方のCPUを止めると片方にリセットがかかり苦労されたとか)
コメントありがとうございます。実際に開発をされていた方のコメントは勉強になります。
キースキャンとサブシステムは「開発する側からすると大変だろうな」とは思っていました。ただ、FM-8との互換性を無くすと初動に失敗した可能性もあり、AVのように互換性を保ったまま(82年秋の時点で)両問題を解消しようとするとコストに跳ね返りそうに思えます。
ジョイスティック端子はPSGのI/Oポートをそのまま引き出すだけで使えるっぽいのでこれをFM-7開発の時点でやっていれば状況はずいぶんと変わっていたのかもしれません。(そうしなかったのは設計時はI/Oポートの無いAY-3-8913を想定していたせいだからなのかは分かりませんがこの点は残念です)