ピースウイングへの道(3)サッカースタジアム推進プロジェクト
- 公開日: 2025/07/06(日) 22:21[JST]
2003年にサンフレッチェ広島の呼びかけによって、広島にサッカー専用スタジアムを建てるためのプロジェクトが設立され、市・県・県サッカー協会・クラブ等の間で会議が開催された。この会議についてはリアルタイムでヲチしていたわけではないので、atwikiにまとめられている資料から気になったトピックを抜き出し、所感を述べるに留める。
2003年度
5月1日の第1回定例会議では、現状の説明として「(アマチュアの)大会や講習会で比較的自由に使えるのは広域公園第1球技場くらいで、陸上競技場は日程の調整が難しい」とのコメント(おそらく県協会の人)。
6月17日の第2回委員会議及び第6回ワーキングスタッフ会議では、候補地として「広島市民球場跡地」「広島大学跡地」「五日市地区」「広島スタジアム」「第1球技場」が挙げられた。この頃はカープの新球場がエンティアムに決まったところ。
7月8日の03年第8回スタッフ会議では、「広島スタジアムは都市公園法の敷地面積上限を超えているので難しい」との指摘[1]。第1球技場改修については過去クラブから市に2回打診があったが、財政難を理由に断られている。
8月7日の第11回ワーキングスタッフ会議では、第1球技場を15,000人級に改修した場合の費用見積もりが21億円であると報告された。本命のスタジアムへの繋ぎとしては高すぎるとの評価であり、工法を検討した上での再見積もりが提案された。
9月11日の第13回ワーキングスタッフ会議では、仮設スタンドを第1球技場に設置した場合の見積もりとして、8.4億から12億程度と報告された。
10月9日の第15回ワーキングスタッフ会議では、第1球技場改修案に対する市の懸念として「現在の147日の利用日数が大幅に減る可能性」が指摘された。また、広島スタジアムは毎日のように陸上で使用されているため改修は困難とのコメントも。
2004年度
2005年1月28日の会議にて、五日市の埋立地に作る場合は10年後になるとの話。
2005年度
6月2日の第5回ワーキングスタッフ会議では、フクダ電子アリーナについて、「規模が18,500人となったのは敷地に隣接するJFEの道路を3年は撤去できず、ジェフの経営上撤去を待てないという事情から」という報告があった。
10月20日の第1回委員会議・第2回ワーキングスタッフ会議 では、事務局が市民球場跡地に水族館併設のスタジアムを提案するとの報告[3]。
2006年1月18日の第4回ワーキングスタッフ会議では、水族館・スタジアムに加え観覧車(場所は市民球場跡地の南東端)を追加した案を提案。
2005年3月にカープの新球場は市民球場建替えと一応決まった(ひっくり返すこと前提なのははたから見ていて明らかだったが)が、9月16日に現地建替えは困難と判断しヤード跡地新設と決まった。
2006年以降の流れ
2009年10月30日のサッカースタジアム建設推進プロジェクト会議によれば、カープ新球場のヤード跡地新設が決まった後、2005年から翌年にかけて市民球場跡地の提案コンペを行い、サッカースタジアム案も提案したが選ばれることなく、2006年8月にプロジェクト休止。その後2009年にプロジェクト再開。
所感
市民球場跡地での提案だがやはり敷地面積23,000~24,000平方メートルというのは厳しい[4]。2005年の第1回委員会議・第2回ワーキングスタッフ会議では建築面積16,400平方メートルで30,000人収容とのことだが、これはフクダ電子アリーナと同程度の面積でありさすがに無理がある。
会議自体は最初の2003年度が最も活発で、カープ新球場にも翻弄されながら尻すぼみとなっていったように見える。
市民球場を取り囲むように基町ポンプ場や武道場等地下施設が配置されており、市民球場の縄張りを超えて大規模建築物を建てるのは困難