新球場の比較など(平野市議の6/28コラム)
- 公開日: 2007/07/01(日) 13:38[JST]
- 更新日: 2022/03/30(水) 20:20[JST]
(No.211) 平成19年6月28日『新球場建設に係る官製談合の疑惑(その3)』
例によってツッコミを入れてみる。
今回、新球場建設コンペで優秀作品として決定された『環境デザイン研究所』のホームページ(平成19年6月20日)には、平成18年度の「受注紹介」の項に広島の新球場建設コンペで最優秀作品として決定された作品は掲載されていないのです。何故でしょうか。このことはダン・ミンス氏の存在があるからではないでしょうか。
環境デザイン研究所のサイトには「受注紹介」の項なんてありませんが。また、「作品メニュー」は2005年以前に出来たものしか載っていませんし、「近況」は平成18年の「彰国社より『環境デザイン講義』を出版いたしました。」 が最新です。そして、この『環境デザイン講義』という書籍は平成18年6月10日に発行されています 。単に更新されていないだけじゃないかと思います。
その当時のデザインは民有地買収を予定しており、貨物ヤード跡地の官有地だけの敷地形態で施行するとの状況変化に伴い、球場全体を90度右へ回転させ、土地の不足を補うアイデアとして、新幹線側を少しオープンにし、スタンドを削り取ることで新幹線から見える球場として、さも発想の転換で美しくほかに例を見ない球場として理由付けしてありますが、形態は2001年5月の案から何の変化もないのです。
では、上面図で比較してみましょう。こちらがミース氏の書籍に載っている2001年5月の球場案(以下、ミース案)、そしてこちらが前回コンペの球場案(以下、環境案)です。比較すると、以下の点が違います。
ミース案は三層スタンドだが、環境案は二層スタンド
ミース案の二階、三階スタンドは両端が鋭角に切り込まれているが、環境案の二階席は直角に切り落とされた形状となっている。
ミース案は外野スタンドと内野スタンドが分離しているが、環境案では一体化している。
ミース案の外野スタンドは10メートル強の浅いものだが、環境案のライトスタンドはセンター付近を除いて20メートル以上はある。
そもそもミース案はセンターが異様に狭い。図ってみたけど100メートルそこそこしかなかったぞ。
ミース案では屋根が一塁側スタンド(外野付近)の外ギリギリにある。つまり、環境案のウリの一つである「周回するコンコース」はミース案には無い。
ミース案ではファウルゾーンは、ホームベース裏から徐々に狭くなっていき、グランドが土から芝に変わるあたりからフェンスが内側にカーブしている。これに対して環境案ではホームベース裏から一塁・三塁ベースあたりまでは一・三塁線とフェンスがほぼ平行で、そこからフェンスがカクンと折れ曲がって急激にファウルゾーンが狭くなる、という形状。
「形態は何の変化もない」とはどこのことを言っているのでしょうか。むしろ、屋根の形状位しか似通っている部分が無いような気がしますが。その屋根の形状にしても、ミース氏が好んで使うモチーフ(Lincoln Financial FieldやPaul Brown Stadium)であり、これをもってミース案と環境案を同一、と言うのは苦しいかと。また、ミース氏が好んで使うもう一つのモチーフである「傾いたガラスの外壁」はミース案にはありますが環境案にはありません。
正直なところ、環境案というのは、2004年12月にカープが提案した球場案をヤード跡地の形状にあわせて整形し、これに環境デザイン研究所やミース氏のアートワークを加えたもの、と見るべきかと思いますが。なお、後者の絵は現・環境デザイン研究所会長の仙田氏(当時は東京工業大学教授)によるものですが、オリジナルのPDFのレイヤー構造から判断する限りでは、レフトスタンドを削るところまではカープのアイデアでしょう。(仙田氏も「周辺敷地整備」としっかりと書いてますし)
市長は、新球場建設について「事情が許せば簡易屋根かけにしたい」と発言されています。しかし、これはダン・ミンス氏とNBBJの作品集の広島市の新球場建設コンペの説明の最下段にある「鯉の廻舞」と「日本のきもの」の写真と「和傘」の写真をもとに発言されているのです。和服の布を素材として傘の構造を応用すれば開閉式の簡易屋根が何とか出来るとの発想であり、2001年からの発想と基本は、変化していないのです。
こじつけが強引過ぎます。今までの秋葉市長の言動からすると、「安く屋根かけを出来る技術があればやりたい=そんなものは無いからやらない」でしょう。「屋根かけなんてするつもりはない」と断言すると「大規模イベント会場を税金で作ってほしくて堪らない財界の人達」が騒ぎ出して話がこじれるので、「将来の屋根かけの可能性」を一応残しておく、ということでしょう。(逆に言ってしまえば、エンティアムの時に市長がわざわざ屋根かけの話を持ちだしたのは、話をこじらせたかったから、とも推測できます)
大体、ミース氏はコンセプトデザインやアートワークをメインとする建築デザイナーであって、構造エンジニアリングの専門家ではありませんし。
もう一つ、気になることがあります。それは、Dan Meis氏がNBBJからNADELに移籍され、そこから不動産コンサルティングの会社であるTHE RCLCo TEAMの顧問コンサルタントになられていますが、NADELのホームページのManaging Directorsの紹介ページにDan Meisの名前が2007年5月上旬まではあったはずですが、2007年6月中旬にはその名前はなくなっていることです。
広島市の新球場建設のための協力者として正式に就任されているのであれば、具体的に何をどのように協力してもらうのか、また、その代償はいかほどなのか、環境デザイン研究所との関係はどうなっているのか、ひとつひとつ、広島市民に理解できるように公式に説明してほしいのです。
正確には、「ミース氏は今年の4月にNadelの社長から顧問コンサルタント(たぶん名目上の役職でしょう)になり、不動産コンサルタントのRCLCoのManaging Directorに就任した(このネタは私も五月下旬に掴んでいました)。一度はRCLCoのサイトに名前が載っていたが、現在は消去されている」ということです。なお、辿れなくなっているだけでミース氏についての説明(リンク切れ URL: http://www.rclco.com/content/?nl=3&navid=8&ctype=bio&main=2&thirdid=6&bio=46 )は残っています。早くも辞めてしまったか、以前のRCLCoの発表がフライングだったのかはいまひとつ判りませんが。
さて、たぶんこれが次回の平野氏のネタかと予想されますが、広島新球場については、Nadelのサイトに資料が残っています。ミース氏がNadelから離れるにあたり、2001年のミース氏の案とコンペの当選案とがごっちゃになってしまったようです。この資料によれば、新球場はJack Bouvrie氏のスタジオの担当となったようです。と、いうことで、既に広島の新球場はミース氏の手を離れた、と見ているのですがどうでしょうか。
しかし、前にも書いたが、ブログじゃないものをブログよばわりするのはどうかと思う。
Nadelのサイトを見て気づいたのですが、Portfolioの広島新球場紹介のページに、ボール紙で作ったデザイン検討用と思われる模型があります。で、これ、環境デザイン研究所案のモデルであって、2001年版の球場案とは異なるものです。
てことは、ダン・ミース氏のグループは2001年版とは別の球場デザインを新たに2005年に行った、といえそうです(元となったイメージが同じ「市民球場の鯉の絵」だったとしても)。また、ミース氏のグループがデザインしたのは屋根とスロープだけっぽい。