平野市議のサイトが更新

(№221) 2007年11月2日『新球場建設に係る官製談合の疑惑(その6)』[archive]

そのような中で、私のホームページをご覧になった方から、二つの指摘がありましたので、 回を分けて紹介させていただこうと思います。

今回は、「その1」として、「ダン・ミース氏」と「市長」との関係についてです。その指摘の内容は ご覧のとおりですが、指摘に引用されていますDan Meisの“Spectator”は、私のホームページ ((№210)平成19年6月25日 『新球場建設に係る官製談合の疑惑(その2)』)で 取り上げていますので、合わせてご覧いただければと思います。

ううむ、わざわざSPectatorなんて購入する人が私と平野市議の他にもいたということか。

で、指摘の内容だが、今までと大して変わらない。要は「2000〜2001年に市長に新球場案を提案した人物が環境デザイン研究所案にも関与しているから、(何があったのかは分からないけど)官製談合だ」っていうものだ。

2001年初頭にカープ(と電通西日本)も似たような複合施設案の提案をしていることや、2004年12月にカープが提案した球場案が環境デザイン研究所案のベースになっていることとか、環境デザイン研究所案にはシアターはないこととか、去年秋のコンペの入選案はいずれも周辺施設込みで、特に3位の石本・隈設計のやつはシアターが付いていることとかも加味すると、結局カープ主導のプロジェクトだったと思うんですけどね。

結局の所、「主テナントであるカープが設計に関与した球場案は、コンセプト面での完成度が群を抜いて高く、それ故にコンペでは通るべくして通った」という所だと思うんですけどね。エンティアムにしろ今回のコンペにしろ。2006年春のコンペにしても、防衛庁談合が無ければ順当に環境デザイン研究所案だったろうし。

そもそも、ミース氏はいつから環境デザイン研究所案に参入していたのだろうか。改めて見なおすと、2006年春の環境デザイン研究所案[archive]ってミース氏の色があんまりでていない。ミース氏がデザインされたとする鯉のロゴもないですしね。以前Nadelのサイトに載っていた写真にも、うねうね屋根の検討とかしか載ってなくて、2006年春の時点で決まっていたデザインを検討した形跡が見えないですし。

もし、ミース氏の環境デザイン研究所案への関与が今回のコンペからならば、少なくとも2006年春の時点では、ミース氏への利益供与の意図は市には無かった、ということになると思うのだが。

どうでもいいが、Nadel Aechitestsのサイトが消滅している。

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