日本におけるPC互換機の歴史

DOS/V登場以前からWindows95登場前夜くらいまでの、日本でのPC互換機ってどんなんだっけと思って調べてみた。

参考にしたサイトは以下の通り

1. IBM JX(1984)

JXは1984年10月29日に日本IBMから発表されたホームユース向けPC。ベースとなったのは同年3月に米国で発売されたPCjrであるが、内蔵FDDが3.5インチだったり、DMAコントローラがなかったりと完全な互換性はない。一方で、PCjrで評判の悪かったゴム製キートップの「チクレット」キーボードは普通のタイプライターキーボードに改められている。

CPUは16ビットであるものの外部バス8ビットの8088(4.77MHz)、最安モデルのJX1ではメモリは64kB、グラフィックスはPCjr相当(320x200, 16色だが描画速度的に実用的なのは160x200, 16色)、サウンドはPSG 3ch(テキサスインスツルメンツSN76489)。ということで当時の国内8ビット機と比べるとCPU性能はともかくグラフィック面でやや見劣りするのは否めない。

Wikipediaによれば1987年まで販売され続けていたが、ほとんど売れなかった(1987時点でも4万台)ようだ。

2. 東芝J-3100(1986)

1986年10月13日に東芝から発表されたラップトップPC。米国で発売されていたT-3100を日本語化したもので、CPUは80286。定義にもよるが一応AT互換機ともいえる。後に8086を積んだ廉価盤J-3100SLも出るがこちらはXT互換機ということになる。

グラフィックはCGAベースで640x400の画面モードを追加し、日本語表示機能をもつDCGAというものが採用されている。キーボード配列はUSキーボードをベースに日本語入力の為のキーを追加したものとなっている。具体的には「カナ」、「漢字」、「む」が追加され、右側のAltとCtrlがなくなっている。また、「ろ」は右シフトと兼用となっている。

1989年に発売されたJ-3100ベースのノート機である通称Dynabookはヒット商品となり、史上初めて「マニアでない日本の個人」にとって選択肢となるPC互換機となった。

3. IBM PS/55(1987)

これまで日本IBMは企業向けにマルチステーション5550というx86ベースだがPCとは互換性の低いPCを投入していた。この5550のモデルチェンジ版として1987年5月12日に発表されたPS/55シリーズは、下位機種こそ5550ベースだが最上位機種の5570-SはPS/2ベースとなった。

1989年には個人市場をターゲットにしたモニタ一体型のPS/55Z(5530)も登場している。640x400ドットで高解像度と呼ばれていた時代に1024x768ドットに対応するなど高性能であり、巨人の藤田監督を採用したCMを打つなど宣伝にも力を入れていた。

4. AX(1988)

アスキー及びマイクロソフトによって企画され、国内電機メーカー各社(既に独自仕様のPCを出していたNEC、エプソン、IBM、東芝、富士通、日立を除く)から発売された企業向けPC。PC/AT互換機をベースとし、漢字表示機能を持つJEGAカード(Chips&Technology社のEGAコントローラにアスキーの日本語表示用コントローラを追加したもの)を使用していた。JEGAは日本語表示のために640x480ドットの解像度をサポートしていたが、同じ解像度のVGAとは互換性は無い。

キーボードはJ-3100と同様USキーボードベースで、漢字、英数/カナ、変換、無変換、AX、円記号キーが追加されたものとなっている

5. DOS/Vの登場(1990)

最初のDOS/VであるPC-DOS4.0/Vは、1990年10月11日にラップトップ機PS/55モデル5535-S用の日本語DOSとして発表された。DOS/Vはソフトウェアのみで日本語表示を可能とするDOSで、安価かつ高性能なPC互換機で日本語を扱えるようになったということでパソコン通信コミュニティで話題となった。

当時マイクロソフトもソフトのみで日本語表示を可能とするMS-DOS/AVを開発していたがDOS/Vを見てこちらに一本化することを決断したという。マイクロソフトはIBMと交渉し、DOS/Vのソースコードを得てマイクロソフト版のDOSに組み込めるようにした。当時NECを含む(IBM以外の)国内PCメーカーはマイクロソフトとDOSのライセンス契約を結んでいたが、マイクロソフトはこの契約のまま(新たに契約を結ぶことなく)DOS/Vの提供を約束したとのことである(古川享「僕がつたえたかったこと、古川享のパソコン秘史」)。

翌1991年にはOADGが発足し、またIBMはDOS/V機であるPS/55Z 5510PS/55note 5523-S(共にPS/55と名付けられているがPS/55とは互換性はない。ただしフォントROMを内蔵)を発売している。

6. DOS/V一本化への道(1991 - 1992)

DOS/Vは登場したものの、上記の通り当時企業向けPC互換機の日本語化としてJ-3100、PS/55、AXがありしばらくの間はDOS/Vを含めた4アーキテクチャが併存することになった。AXもVGAベースのAX-VGAを発表した。AX-VGAは日本語表示用のハードウェアを必要とするAX-VGA/HとDOS/V同様ソフトのみで日本語化するAX-VGA/Sがあり、どちらも旧来のAX用ソフトウェアが動作した。また、これまで独自仕様のDOSマシンであるB16/B32を販売していた日立がAX陣営に加わることになった。

日本IBMもDOS/V機である5510発売後の1991年秋に個人向けPS/55である5530Uを投入している。

翌1992年より、IBM以外の国内メーカーからもDOS/V機が発売されるようになった。ソニーは自社製AXマシンのQuarter/LをAX、DOS/Vに両対応させた(JEGA+AXキーボード+AX仕様DOS、VGA+106キーボード+PC-DOS/Vのオプションを用意)。また、東芝もVGAモデルのダイナブック用に「日英MS-DOS Ver5.0」というJ-3100、DOS/Vのハイブリッド(VEMコマンドによりDOS/Vモードとなる)DOSを提供するようになった。

日本IBMもまたこの年に個人向けのデスクトップDOS/V機であるPS/Vを投入している。PS/55noteがThinkPadにリブランドされたのもこの年である。

1992年には米大手のコンパックが国内市場に参入。10万円台前半からという意欲的な価格設定からコンパックショックと呼ばれた。コンパックのProLinear、DeskProはマイクロソフト版の英語DOSをDOS/V化したものを同梱していた。

このころマイクロソフトはAXからDOS/Vへの軟着陸を考えており、MS-DOS5.0a/VというAX、DOS/V切り替え可能なDOS/Vを企画していたが、ユーザからの猛反発にあい取りやめ、純粋なDOS/Vに一本化することになる。

7. Windows3.1の登場とDOS/V一本化(1993 -1994)

マイクロソフト版DOS/Vは(それまでもコンパックや東芝に部分的にライセンスされたものはあったものの)、1993年になりようやく正式に登場した。このあたりからAXやPS/55の市場は収束しDOS/Vに移行することになる。例えば代表的なDOS用ワープロソフトである一太郎は、Ver.4まではAX、PS/55、J-3100、DOS/V版が併売されていたが、この年に発売されたVer.5ではJ-3100とDOS/V版のみとなった。東芝もこの年10月発売のダイナブックV486AからDCGAのサポートがなくなり純粋なDOS/Vマシンとなった。また、それまで独自仕様のDOSマシンを販売していた富士通もDOS/V機であるFM-Vを投入し始めた(ただし独自仕様のFMRやFM TOWNSも併売)。同様に、PC-98互換機を開発・販売していたエプソンも子会社エプソンダイレクトを設立、翌1994年からPC互換機を販売し始める。

また、1993年の5月には日本語版Windows3.1が登場する。NEC自身がWindows3.1対応に積極的であったこともあり、ビジネスソフトは急速にWindows化が進むことになった。この結果、PC-9801の優位性が薄れDOS/Vのシェアが上昇し始める。翌1994年秋には富士通がオールインワン低価格DOS/V機であるDESKPOWR[1]を投入し、DOS/VのシェアはNECに肉薄するようになった。

コメント(0)

コメントを投稿する際はここをクリック


Note

本サイトのハイパーリンクの一部は、オリジナルのサイトが閉鎖してしまったため"Internet archive Wayback Machine"へのリンクとなっています。そのようなリンクにはアイコン[archive]を付与しています。

本サイトはCookieを使用しています。本サイトにおけるCookieは以下の三種類のみであり、Cookieの内容に基づいてサイトの表示を変更する以外の用途には用いておりません。