#25年前の若者に言っても信じて貰えないこと パソコン編
- 公開日: 2013/06/23(日) 08:27[JST]
Twitter上でのネタ。togetterでまとめられている。私自身Twitterで書いているけど、「今の一般の人が『25年前の若者に言っても信じて貰えないだろう』と考えていること」って、当時のパソオタにとっては(たとえ予想できなかったとしても)指摘されたら納得してしまうんじゃないかと思ったり。中には当時からあったものもあるし。
今から25年前、つまり1988年ってどういう時代だったかというと、
国内の家庭用パソコンは8ビットから16ビットへの移行期
8ビットパソコンの最終モデルはMSXを除いて翌年の89年までに登場している
16ビットパソコンの高解像度に対応したゲームがぽつぽつ出始めた頃。テキストだけ高解像度でグラフィックは8ビット機(640x200ドット、8色)と同様、というケースもアクション性の高いゲームを中心にまだ多かった。
MSXは3世代目の2+が登場した年。参入メーカーもソニー、パナソニック、三洋の3社のみとなる。
アメリカの家庭用パソコンは、16ビットのAMIGAとATARI-STがしのぎを削りつつ、8ビットのApple][とCommodore64がしぶとく生き残っていた頃
Apple][の16ビット版であるGSはホームユース機としては失敗(学校向けのApple][のリプレース機用途に活路を見出すことになる)
Macは、初のカラー機であるMacintosh IIが登場した頃で、ビジネス用途が主要販路(ビジネス>アカデミー>クリエイティブくらいのイメージ)
IBM-PCはEGA(320x200ドット16色)、FM音源対応のゲームがようやく出始めた頃。これでようやく8ビットのCommodore64といい勝負。その一年前までは160x200ドット16色(又は320x200ドット4色)、サウンドはビープ音のみというお話にならないレベル。
家庭用ゲーム機は、PCエンジン(87年)、メガドライブ(88年)が登場。もう少しするとファミコン一強から三つ巴になる
PCエンジンのCD-ROM登場もこの年
スーパーファミコン・ゲームボーイはまだ登場していない
ゲーム&ウォッチもまだ新作が出てたみたい(あまり記憶にない)
アーケードゲームはナムコ黄金時代が終わり(とはいえまだまだ強い)、「体感ゲーム」のセガが台頭。以下各社の87-88年の代表タイトルを。
ナムコは「ドラゴンスピリット」「ワンダーモモ」「ベラボーマン」「妖怪道中記」「スプラッターハウス」
セガは何といっても「アフターバーナー」「ギャラクシーフォース」そしてロングランとなった「テトリス」
コナミは「グラディウスII」「悪魔城ドラキュラ」
タイトーは「オペレーションウルフ」「レインボーアイランド」
カプコンは「大魔界村」か。初代ストリートファイターもあるけど。この頃はまだ中堅メーカーかな。「ファイナルファイト」が翌年。
東亜プランが「飛翔鮫」「究極タイガー」「TATSUJIN」とヒットを連発。シューティングゲームメーカーとしての地位を確立した。
パソコン通信は既にあった
機種依存文字の問題が出始めた(下で説明する様々なDOSマシン間でのフロッピーベースでのデータのやりとりでもあったと思うけど)
国内でのインターネットは前身のJUNET時代。まだ学術・研究機関のみの利用。日本語での電子メール用文字コードの基準(ISO-2022-JP)が定められたのが88年
ビジネス用PCはNECのPC-9801シリーズの圧勝。日本IBMのPS/55、富士通のFMR(とそのパナソニック版のPanacom M)、東芝J-3100、日立B16、AXがその後に続く
上の機種は全部DOSマシン
PS/55とJ-3100とAXはIBM-PC(厳密にはPS/55は後継アーキテクチャのPS/2だけど)ベースだが、日本語ソフトの互換性は低かった
これらの機種でも一太郎、1-2-3(表計算)、dBase(データベース)といった定番ソフトは一通り揃っていたので「98以外使えねぇ」というほどでもなかったと思う
でも管理工学研究所の「松」(ワープロ)、「桐」(データベース)は98専用か
一年前に98互換機のエプソンPC-286が登場
オフィスでも「ホワイトカラー一人につきPC一台」はもっと先。私が以前いた職場(一部上場企業)では97年ごろだった
さすがに理工系の大学では職員一人一人に占有するPCを割り当てられていた。でも研究室に配属された学生は何人かで一台の共用パソコンを使用。
個人的には、「当時の技術の延長で大きく進歩したこと」ってあまり驚くことじゃないと思う。そりゃ四半世紀も過ぎれば色々変わるでしょうと。Twitterでも書いたけど、過去の自分ならやっぱりこの辺りが信じられないのでは無いかと思う。
(最新鋭の体感アーケードゲームだった)スペースハリアーが(88年当時でも過去のマシンだった)PC-6001mkIIとMZ-700に移植された
記憶装置の容量は大幅に増えた(ここは驚くに値しない)一方、「気軽に書き換え可能、ブート可能且つ安価なメディアが他に無い」といった理由のため、2HDのフロッピーが20年以上使われ続ける
ソフトバンクは当時の主力業務だったソフト流通とパソコン誌が揃って衰退(ていうかソフトバンクって今雑誌出してないのね。調べるまで気づかなかった)。しかし(ある意味古くさい重厚長大産業の)通信インフラに手を出して会社は大成長