ピースウイングへの道(6)ALL FOR HIROSHIMA

「旧市民球場を改修してサッカースタジアムにするプラン」を軸とした市民運動であるALL FOR HIROSHIMA(略称AFH)について。当事者視点での運動の中身についてはおそらく宇都宮徹壱氏が今年8月に予定されているスポーツナビの連載にて語られるだろう。本ページでは外から見たこの運動の様子や、この運動に対する自分なりの所感を書いておこうと思う。

運動の始まり

この運動が始まったのは2008年6月18日[1]。前年8月には広島市民球場跡地事業計画案及び事業予定者選考委員会[archive]の結果が発表され、それ(折鶴ホールと緑地広場)の是非について議論が沸き起こっていたころである。

当初は国産SNSであるmixiにて活動が行われていた[2]。その後、8月7日には公式サイトができ、以降はそちらでも活動内容を広報するようになる。

市民球場の建物を極力残し、サッカースタジアムにリノベーションするというアイディアは2008年7月には誕生している[3]

署名活動

2008年8月から2010年3月にかけて、AFHは旧市民球場の解体に反対する署名活動を市内各所で行い、最終的に23,295筆の署名を集めた[4]。署名は2010年3月24日に市議会に提出され、その際に旧市民球場を改修利用するフットボールパーク提案書も資料として付随し提出した。

スタジアム案

AFHによるスタジアム案は、AFHメンバーでもあり一級建築士でゼネコン勤務のまたろ氏のブログに掲載されている。またろ氏は2ch国内サッカー板で「スタ熊 ◆hJptvu.DK」というコテハンでも活動しており、私がAFHの活動内容を知ったのも2chの広島サッカースタジアムスレを覗いたのがきっかけだった[5]

スタジアム案の感想としては市民球場の内野スタンドが18000席というのは詰め込みすぎで厳しいのではないか、というのが一点[6]。もう一点は旧市民球場の構造上の欠陥もそのまま引き継いでしまうがそれでよいのか?というものだ。

後者についてもう少し詳しく説明する。私は内野二階席で野球を観戦するのが好きで、旧市民球場も内野二階席A指定席(バックネット裏からベンチあたりまでの位置。座席の色は赤)で観戦していた。この席はチケットを買うときに前側と後側を選択できるのだが、最初最前列の席を選んで後悔した。ちょうど打席が手摺と重なって見えないのと、人がしょっちゅう通って視界が妨げられるからだ。二回目以降は後側の席を選ぶようにした。このため、AFH案の配置だと二階席前側からはコーナー付近(ひょっとしたらゴールも)見えなくなってしまう可能性がある。

また、二階席は後付けのスタンドなので一階席を通って入ることになる。逆に言うと二階席のチケットで一階席に座ることを妨げる方法が無く、結果として二階席のチケット価格を相応に高くしないといけない。ポール際の二階席Bなんてその下の内野自由席よりも高く、そのおかげでこの席はよほどの好カードでない限り埋まることが無かった[7]

そう考えると、スタジアムを作るのであれば市民球場を解体した上で新たに作り直した方が良いのではないか?と思った[8]。ただ、市民球場跡地は20000人弱のフクアリよりも狭く、跡地に建てた場合十分な座席数を確保できるのか、という疑問も残る。

署名提出後の動き

署名提出後は(旧)広島市民球場フォーラム等他の市民球場解体反対運動を行う組織と共同で周知活動などを行っていたが、2010年8月31日をもって球場の廃止が決定、解体が始まることになった。それに伴い、AFHの活動も、メンバー個人への活動が中心となり、組織としての活動は低下した[9]。ホームページもサンフレッチェの署名活動への協力を表明した2012年9月が最終更新となり、2022年6月までは存続が確認されるものの8月にドメイン失効となった。

そんな中2011年1月に市長の秋葉氏が退陣を表明、後継の市長は自民党が支持する松井一実氏が当選となった。松井市政では秋葉市政時代末期に立ち上げられたオリンピック構想などを白紙化した[10]が、市民球場解体の流れは変わらず、2011年末には全解体が決まった。

影響

このように、AFHの活動自体は市の方針を変えるには至らず、市民球場は解体、時間はかかったが市の予定通りイベント広場となった。その一方でメンバーの中から石橋竜史氏が市議に転じ、議会内でスタジアム問題を牽引することになったり、署名運動を通じてサポーターや市民の間でスタジアム待望論が周知されたりといった効果はあったと思う。ただ後述するように、市民が望んでいることのみでは市は動かないのだが。

所感

新球場検討の時にさんざん見せられたが、秋葉政権以降の広島市は基本的に「正しい」と判断したことを署名や市民運動などの外圧で ひっくり返すことはしない。そして、目的を通すために、いろいろな手を使ってくる。よく使われたのが、反対派に反対させるためのダミーのプランをぶち上げることで、それを取り下げることで本当に通したいプランを反対派が賛成するように仕向ける、というやり方だ。上で挙げたオリンピック構想や、市民球場跡地の折鶴ホール計画なんかが典型。

なので、市を相手にする場合は「市が本当にやりたいことはなにか」を見抜いた上で、市の判断を変えるだけのプランを提案する必要がある[11]。提案したプランが市にとってより良いものであれば考えを変える可能性があるし、そうなって初めて署名が役に立つ(署名があるということは市民の反対が少ない=計画が進めやすい、ということなので)。

残念ながら、市民球場を残してサッカースタジアムにリノベーションする、というアイディアは市の評価ポイントを外しており[12]、やはり市が考えを変えることはなかった。当時のサンフレッチェの経営状況から考えると好立地にスタジアムが必要で、いろんな方面から協力を得るため、建設コストを抑えるために市民球場の設備を極力利用したい、という気持ちはすごくよくわかるんだけど。AFH側から見ると理不尽に感じられるが、市の立場からするとこういう結果になるのは残念ながら当然ではあった。AFH側から見ると理不尽であったが故に、後年SNSなどで市に対して攻撃的な言動を取るメンバーも出、それは結果としてスタジアム実現を却って遠ざけることになってしまったのではないだろうか。

あと、田辺一球氏をメンバーに入れてしまったのはいただけなかった[13]。彼はカープ新球場問題のいきさつから市に対して攻撃的であり[14]、そのことを知っているカープファン(私もそう)はこの運動から距離をなったのではないだろうか。また、この攻撃的な言動が他のメンバーに伝播した面もあるように思える。

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